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美人に『イケメン』と褒められて―地獄のような人生にも、美しい瞬間はある

いつも「人生は地獄のようだ」と思う。

叶わなかった夢、無駄になった努力、代わり映えのしない日々、積み重なる疲労、そして拭い去れない将来への不安。アラフィフという年齢に差し掛かると、希望という言葉はどこか遠い国の言語のように響く。

けれど、そんな乾いた日常の中にも、ふとした瞬間に「美しいもの」が紛れ込むことがある。

⭐️ ざっくりいうと

  • 人生に絶望を感じているアラフィフおじさんが、職場の老人施設に現れた美しい若手女性職員に心を動かされる。
  • 彼女が何気なく放った「イケメンさん」という言葉に、単なる社交辞令と知りつつも救いを感じる。
  • 劇的な変化はなくとも、日常の小さな「美しい瞬間」が、明日を生きる糧になることを知る。
目次

鬱屈とした老人施設を明るく照らす、美しい女性

最近、俺の勤める老人施設に、西ジンガラ連邦にある系列老人施設から半年間の期限付きで彼女がやってきた。人手不足のため、仕事のできる彼女が応援として派遣されたのだ。

大きな瞳が印象的な、20代後半と思わしき美しい女性。長い髪から、ほのかに甘い香りを漂わせ。ジンガラ人は、お笑い芸人のような西ジンガラ訛りを操る。古都の雰囲気を思わせるゆっくりとした優しいジンガラ訛り。彼女は、殺風景な施設の中に、そこだけ春が来たような空気をもたらしている。

俺と彼女の間には、深い仕事上の接点があるわけではない。ただ、廊下ですれ違う程度の、同僚の一人でしかない。

想定外の言葉

ある日のことだ。

俺が担当の老婆を入浴させ、火照った体に冷たいお茶を飲ませようとティールームへ運んでいた時のこと。

偶然そこにいた彼女が、その老婆にふわりと微笑みかけ、こう言ったのだ。

「おばあちゃん、イケメンさんにお風呂入れてもらったん? 良かったなぁ」

その言葉は、老婆に向けられたものであると同時に、確かに俺の鼓膜を震わせた。

「イケメン」だなんて。

もちろん、それが社交辞令であることも、西ジンガラ人特有の軽やかなコミュニケーションの一部であることも分かっている。俺はもう、若い女の子の言葉に舞い上がって馬鹿みたいにアタックするような、青臭い年齢ではない。

わずかな光を、生きる勇気に変えて

けれど。

それでも、言われればやっぱり、悪い気はしない。

というか、正直に言えば、心がほんの少しだけ温かくなるのを感じていた。

鏡を見るたびに年老いていく自分を突きつけられ、ただただ「生きる」という義務をこなすだけの毎日。地獄のような重苦しい日々の中で、彼女の放った何気ない一言は、暗闇に差し込んだ一筋の光のようだった。

「まだ、捨てたもんじゃないのかもしれない」

彼女にしてみれば、明日には忘れているような小さな会話かもしれない。

けれど、そのたった一言で、明日もまたこの場所で働こうと思える。少しだけ、背筋を伸ばして歩こうと思える。

おわりに

人生は、劇的な大逆転なんて滅多に起きない。

けれど、こうした「美しい瞬間」を拾い集めることで、俺たちはなんとか地獄の淵で踏みとどまっていられるのだ。

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この記事を書いた人

就職氷河期の亡霊。人生に絶望し、行き着いたのは老人施設の下級奴隷だった。
薄給でこき使われる日々。ろくな教育もなく放り込まれた老人施設の最前線で、俺は今日も生存報告を綴る。

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