俺の住む北キンメリア市で、介護士の新人研修が行われた。 全国規模の某大手企業の老人施設に採用された新人たちは、各地方最大の都市へと集められる。このアキロニア地方において、北キンメリア市こそがその場所だった。
集まった面々は、中途採用ということもあって平均年齢は高い。 参加者の8割を女性が占める中、男は俺を含めて、たったの3人だった。
掃き溜めに集まった、三人の男たち
俺たちは、それぞれに「事情」を抱えたような顔をしていた。
- オカダ: 岡田准一を彷彿とさせる濃い顔立ちのイケメン。180cm、80kgの恵まれた体格。40歳、中学生の娘がいるという。
- ヤンキー: 九州から戻ってきたばかりのマイルドヤンキー。170cm、70kgのマッチョな46歳。4回の免停歴を笑って話すナイスガイだが、Tシャツの袖からは大きな薔薇のタトゥーが覗いている。
- 氷河期おじさん(俺): 「就職氷河期」という重い十字架を背負ったアラフィフ。外見が実年齢より若く見えるせいで、周囲からは最年少だと思われているが、実際はこの中で最年長だ。171cm、65kg。
経験と、覚悟と、タトゥー
オカダ
「俺は最近、初任者研修を取って転職してきたばかりなんです。オカダさんは長いんですか?」
俺の問いに、大男のオカダは静かに頷いた。 「自分は長いです。介護福祉士も持っています」
介護福祉士。現場で3年の経験を積まなければ受験すら許されない、この業界の登竜門。経験豊富な彼は、これから始まる実務研修にもどこか余裕が漂っていた。
「自分は夜勤が駄目なんです…」とオカダは言った。きっと昼夜が入り混じったシフトのせいで自律神経でもおかしくしてメンタルをやられたのだろう。
ヤンキー
一方、強面のヤンキーは、時折ふとした瞬間に寂しそうな目をする。 九州で運送会社の営業をしていたが、地元の両親の介護のために戻ってきたらしい。
「俺、おむつ交換でウンコまみれになると、思考停止しちゃうんですよね……」 情けない俺の告白に、彼は人懐っこい笑顔で返した。
「俺なんか、パット交換なんてなれました。子供のおむつも替えてたから、何とも思わんです。」
「子供、クリスマス…」その話題が出てからヤンキーは遠い目をした。子供には会えているのだろうか? きっと別れた子供は九州にいるのだろう。
実技演習の最中、彼の腕に刻まれた薔薇のタトゥーが揺れる。髭を隠したマスクの下で、彼は「ツーリングで免停を食らった」と笑う。(通常のツーリングであれば問題ないが、50台ほどの暴走行為は届け出が必要なのだそう)暴走族の過去を隠そうともしない中卒のナイスガイ。この高級老人施設が、彼のような「半グレ」あがりの男さえも受け入れる事実に、俺はこの仕事の懐の深さと、同時に底知れぬ人手不足を感じていた。
氷河期おじさん(俺)
俺はと言えば「もともとデザイン関係の仕事をしていたので、この老人施設でも無料で資料やポスターやら作らされるんです」と自分の話も少しした。
「でも、デザインしているとやっぱり楽しいんですよね…」本心ではこんな仕事したくないのだ。
年収400万に届かない、介護士の現実
研修では、ベッドから車椅子への移乗、パット交換、口腔ケアといった実務を叩き込まれた。学校で習ったはずの知識も、実際に現場を経験してから受講すると、その重みが違った。
ふとした休憩時間、俺は漏らした。 「介護福祉士を持って、勤続10年でも、年収400万に届かないらしいですね」
ここは富裕層が集まる高級施設だ。だが、そこで働く労働者に還元されるものは驚くほど少ない。副業すら厳しく禁じられたこの場所で、俺たちは何を頼りに生きていけばいいのか。
3ヶ月後、また会えるだろうか
「次回は、3ヶ月目研修で会いましょう」講師の言葉に、ヤンキーがニヤリと笑って言った。
「その時、何人残っているかな?」
その冗談は、笑い飛ばすには少しばかり現実味を帯びすぎていた。
おわりに
研修を終えて外に出ると、街はクリスマスムード一色だった。 キラキラとしたイルミネーションが目に刺さる。幸せそうに手を繋ぐ若い男女の間を、俺は一人、湿った憂鬱を抱えて歩く。
俺たちはそれぞれ、北キンメリア市内に点在する別の施設へと散っていく。 いつか、出世でもして同じ現場に立つ日が来るのだろうか。
それよりも先に、考えなければならないことがある。
3ヶ月目の研修。 そこに、俺の居場所はまだあるだろうか。

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